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2022年08月19日

感染症の治し方HPの補足 食物伝来史からのヒント完成!

感染症の治し方HPの補足 食物伝来史からのヒント完成!

今度、HPの「感染症の治し方」の補足として、“食物伝来史からのヒントPARTⅠとⅡ”を完成し、当HPで公開しました。

 当HP「感染症の治し方の医心方」は、平安時代の頃の世界の治療法や社会状況を基にしたものです。今は、それから1000年が経ち、治療法や食べ物社会状況が変わっており、治療法・感染症対策に新たな要素が加わっています。それを知る必要がありますので、食物の伝来史からのヒントPARTⅠとⅡを作りました。
 このブログの読者が子どもの頃から食べている物は、日本に昔からあったものと思っているかもしれませんが、99.9%外国から伝来したものです。

 私たちが食べるものは、歴史を遡れば原産国からいろいろな物語を経て日本に伝来し、口に入っています。日本人は、明治維新から、江戸時代までに食べていなかったものを口に入れるようになりました。そこのところが「医心方」に載っていない免疫に関する部分です。

 今回、食物の伝来史を古代の日本から現代までの食物の歴史的変化を知ることで、思っていたことと違う食物の真実を知り、現在の過剰なほど多い食物の種類の洪水と料理・健康情報過多で混乱している頭を整理することができます。

歴史を知れば食べ物の真実が分かる。
「日本人は昔から米・玄米を食べていたのか」?
 
 例えば、古代の縄文弥生時代には稲作が伝来していたので、日本人は昔から米・玄米を食べていたと思っている人が多いかと思います。最近、NHKの放送に東洋医学・民間療法等薬を使わない統合医療を行う有名な医師が出演し、日本は昔から米食文化だとおっしゃっていました。そうでしょうか。
 
 古代からの歴史を振り返ると、古代から江戸時代くらいまで日本で米を作る農民の人口は8~9割ですが、せっかく米を作っても支配者から年貢等でほとんど9割よくて半分取り上げられていたので、米を主食にはできなかったのが現状です。
各地方で異なりますが、百姓は米1に対してヒエやアワ等の雑穀、それに弥生時代には伝来していた大根等で9割かさ増しして食べていたようです。NHKの朝ドラ「おしん」で大根めしを食べていた話は有名です。(明治時代も貧しかった。)
 
 米や玄米を主食で食べていたのは、当時日本人の1割くらいの武将等の武士階級の人たちだけです。日本人が米・玄米を昔から食べていたと言えるでしょうか。

 支配者は米、労働者は麦飯を食うのは弥生時代に確立されたそうで、現在まで続いております。
 
武将の性格は献立に出る? 現代人の上をゆく家康! お菓子にはまった信長!

 武将が食べていた献立には、その武将の性格が出ているように思います。徳川家康は漢方の大家で、身内の病気を治していたようです。さらに、家康自身がサナダムシに感染した時には、自分で駆除したそうです。その家康のご飯は、玄米に麦を加えたものだったようです。玄米か白米かという現代人の思考の上をいっていたようです。

 思慮深いので天下を取ったのではないでしょうか。当時としては家康は75才と長生きです。戦国時代は、武田信玄や上杉謙信・織田信長等40~50代で世を去り武将の寿命が短かったのです。秀吉も61才で先に他界し、戦わずしてライバルがいなくなったのです。家康が他の武将よりも長く生きることも戦略の一つと考えたかもしれません。
 
 それに比べ信長は、塩辛いものが好きだったようです。また、気が短くなるような献立です。
 しかし、信長はポルトガル船宣教師ルイス・フロイスが献上したこんぺいとう(ガラスビン入り)を日本で初めて食べた人です。これがこんぺいとうの伝来です。やみつきになるくらい大好きだったそうです。
 
野菜を先に食べる食べ方は、1000年前の日本人はすでにやっていた!
 
 最近、野菜を先に食べる食べ方が健康に良いと流行っています。医者等が流行らしたみたいですが、歴史をたどれば、これは平安時代前後、中国の禅寺から仏教とともに精進料理・会席料理・茶道が伝来した時からやっていたことです。たくさん出される料理に食べる順番が決められています。

 また、この頃の僧侶は心と体を良くするのが仏教であり、生活の知恵とか病気の治し方を教えていました。だから、和食の原型の精進料理とか会席料理が体に良いのは当然だと思います。

歴史と比べると今のことが分かる


 現在の食事の事情を考えた時、食物・料理・食事療法等の数があり過ぎて、何を食べて良いか悪いか分からないと思います。
しかし、今までの歴史と比べることで現状が分かりやすくなります。今当たり前と思っている生活のことが、実は昔と比較すると、これがおかしいと気づきやすくなります。

・パンを食べられるようになったのは、宗教上の理由で明治時代からです。

●現在、私たちが食物を買うお店では、加工しているお菓子パンや惣菜には保存・味・色のための添加物が入っています。それでは、自分で作る野菜や米・小麦はどうかと考えると、殺虫剤農薬・化学肥料等を使っています。江戸時代までは化学物質を使っていたでしょうか。

●また、西洋医学がない時代、薬・ワクチンを使っていたでしょうか。

●加工して使いやすくしたり、生産性を良くするため見かけを良くするために、食物の本当の姿が分かりにくくなっています。見て育った時からそうだからです。
 
 ・曲がったキュウリ等の野菜は自然です。育つ時の天気で育ちが変わるのが植物です。昔は曲がったまま売られていたようです。しかし、種なし果物は不自然です。(PARTⅡで解答)
    
 ・スイカの中は赤いものという固定観念があるので、最近久しぶりに黄色のスイカを見て、また何か細工をしているのかと思い調べてみると、 もともとスイカは黄色だったことが分かり、赤より黄色の方が原種に近いのではないかと思いました。

  南アフリカのカラハリ砂漠が原産です。そのアフリカ大陸の反対側のピラミッドのエジプト初代王朝ではすでに食べられていました。日本でいうと弥生時代頃です。その頃は黄色のスイカではないでしょうか。
  日本に伝来したのは平安や江戸あたりですが、普及したのは、明治の頃アメリカで甘く品種改良されたものが伝来してからです。品種改良で赤色になったようです。外国留学生に聞くと、世界中赤が主流のようです。

 ・天然魚と養殖魚では違います。(PARTⅡで解答)
    
●断捨離やコンビニで賞味期限切れで捨てられる食品がゴミ袋に何袋も毎日出るのを見たりすると、戦中戦後の食料と物がない時代の人は、捨てるのを「もったいない」と思うことでしょう。

●日本は、時代で食物の変化がはっきり変わった国です。
食物の伝来史を知ることで、比較により今の食事情が分かり整理することができます。また、何気なく食べていた食物に興味が持てるようになります。今まで当たり前と思っていたことを再認識して一度白紙に戻すと、リウマチ膠原病等アレルギー疾患や感染症の薬を使わない食の治し方を修正しやすくなると思います。

一度、日本の食物の歴史を知ってほしいと思います。
PARTⅠは、縄文弥生の古代から江戸時代までの食物の伝来史とお菓子ができた物語と仏教伝来による食事をとる考え方。
PARTⅡは、江戸時代までとの比較で分かる食物と医学に関わる感染症の対策です。


安 靖(あんせい)
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☎ 092-511-3234

PARTⅠ
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PARTⅡ
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Posted by ansei at 21:38Comments(0)